メモ

頑張らないで書けたらいいな

自己紹介に入る前に

 

 春は自己紹介の季節である。時間によって環境が変わることになり、新しいコミュニティに所属すれば、最初の顔合わせで右から順に自己紹介をするということになりかねない。

 そんなとき、どうしたものか、と私は困る。何を言えばよいのか。

 そもそも私を表すものとは何か。

 本質的に。

 簡潔に。

 こういうとき「シンプル」は美しいのだなあと改めて思う。

 

 さて、先日(ではなかった四月上旬、だけど特に何もしていないので先日の気分)晴れて研究室に所属することとなった。そして、所属メンバーが顔合わせで一人一人自己紹介することになったのだが、その場の流れで趣味を言うことになった。

 

 やばいやばいやばい

 

 と待っている間思っていた。特にないんだよね、趣味。

 

 よりによって一番懸念していた流れになった。

 

 なんて言っただろうか。

 

「そんなに読むわけではないんですが、読書ですかね。それから、長期休暇になったら意味分からないことがしたくなるので、自転車で琵琶湖一周したり、富士山を登ったりしました」的なことを言った気がする。

 

 これだけの情報で人の何が分かるというのか。

 

 否、この問いはナンセンスである。

 

 これは後々起こるであろう会話への話題提供である。

 

「○○さん。××出身なんですよね? 実は私もそうなんです!」とか。地元トークに発展するかもしれない。

 

 そう、これは人類が長き歴史の末に得たコミュニケーションを発展させるためのツールなのだ。

 

 言い換えるならば、物語のプロローグ、という言葉がふさわしい。自己紹介と言われてやる気が出なくても、プロローグと言われれば心が舞い踊るに違いない。

 

 しかし、だ。プロローグよ。

 

 君がいるということは、もちろん本編がなくてはならない。つまり、先ほどの「後々起こるであろう会話」に値する部分である。

 

 ここで忘れてならないのは、プロローグから本編への跳躍には得意不得意の個人差があるということだ。

 

 小学校、中学校、高校を振り返れば、新学年になれば「1年5組 自己紹介」なる冊子を作りプロローグが終わったにも関わらず一向に本編が始まらない。気が付けば「卒業アルバム」でエピローグを迎えていたというような付き合いの人もいるのではないだろうか。

 いつまでも跳ばなかった分、最後に跳んだら跳びすぎだったようだ。

 

 余談だが、私の感触では本編が「行事における事務手続きでの会話のみ」だった人は結構いる気がする。まあ私のコミュニケーション能力では仕方がなかった。

 

 

 私は跳躍が得意ではない。

 

 だから、私はこう考える。本編を少し先に書いておくのだ。

 

 そのための場所がここだ。

 

 ここなら、情報を得るかの選択権は読む側にある。会話で起こり得るような相手が望んでいないストーリーを延々と聞かせてしまう心配はない。戻るボタンで一瞬にして解決するのだ。

 

 というわけで、自己紹介を少し書いておこうと思うが、長くなったのでまた今度にする。何を書くべきだろうか。いや、shouldでなくて好きなものを書けばよいか。

 

 いま書いていて思い出したエモ味がある。

 

 (三分後)

 

 記憶の出所を見つけられて一安心したので紹介する。最果タヒさん著「君の言い訳は最高の芸術」に収録されている『I like it.』から。

 

好きなものを作るというのは、自分の中に凡庸な部分を作るということだと思う。言い換えれば、他者と共有できる何かを持つということ。好きなものを見つけるというのは、自己表現のもっとも最初期なものだ。世界と自分の共通項を見つけて、「私はこれが好きです」と言う。それは、一番簡単な自己紹介の仕方だ。

 

 世界と自分の共通項という表現がくすぐったいのでこれからお借りしていこうと思う。そして、次の文だ。

 

(そして、ものづくりはその領域にはみ出ていくための行為だと思っている。)

 

 これはとてもエモ味があると思った。

 (文脈を書くとネタバレになるので止めておく。)

 

 さてさて、無駄なことを書き連ねてしまったのでタイトルを「自己紹介」から「自己紹介に入る前に」に変えることとなった。

 

 それではまた、四次元のどこかで。

 

きみの言い訳は最高の芸術

きみの言い訳は最高の芸術

 

 

追記

 

読み返すと、何か変なテンションですね、これ……

まあ、そういう日もあるということで……

広告を非表示にする